総理+金八先生+浅田先生÷3を目指す!子供の頃に見た学園ドラマの再現なのです!
総理と言っても、安倍さんではありません。
我々世代にはとても懐かしい夕陽丘の総理大臣で、中村雅俊さんが演じていた教師のニックネームです。
金八先生は、日本国民であれば、必ず知っているでしょう。いやいや、若い世代には馴染みがないのだろうか?
最後の「浅田先生」は知らないですね。
理解出来るのは、このBlogを読んで貰っている方だと親友の「ヒカっち」位だろうか?
この浅田先生とは、中学校の時の教師で「浅田栄正先生」です。
この先生は何から何まで型破りな人で令和の現在だったら、問題だらけの教育者です。
ただただひたすら熱い先生でした。
ゆとり教育なんてとんでもない!
生徒の為であれば、ルールさえも破り、全力で取り組んでくれる人でした。
私が所属していたバレー部の顧問でもありました。
昔を知らない人には、120%『嘘だろ〜』なのですが、中坊だった当時、私は栗色のサラサラヘアーで、女子の先輩からも人気があってのです。
浅田先生にも可愛がってもらい、一年生で補欠でもない私をバレーの県大会に連れて行ってくれました。
川越の丸広『埼玉ではお馴染みのデパートね』の屋上で、お寿司をご馳走して貰いました。
一人の生徒にだけ?
依怙贔屓?
大いに結構!
同僚の先生や保護者がどう思おうと、自分の教育方針を貫きます。
授業中も、今考えると作り話だったんじゃないか?と、思えるほど面白い昔話をしてくれました。
それは、浅田先生の子供時代の話なのですが、今の時代では差別用語のオンパレード、放送禁止シーンだらけなのです。
どれだけ面白かったのか?
40年近く経った、今でも話の中に登場した、キャラクターの名前を覚えているのです。
体育祭でも、先生を中心に団結して優勝を狙います。
どうすれば、優勝出来る?作戦を練るのです。
毎日、放課後練習をします。
各競技、ポイントが与えられるのですが、穴場を狙うのです。
二人三脚が3レースあるのですが、3レースとも一等賞を取りポイントを確保します。
男女ペアなので、他のクラスは恥ずかしがる訳なのですが、ウチはペアは目つきが違います。
私も選手に選ばれましたが、毎日、練習です。
一生懸命練習をしていると、改善点が見つかるのですね。
二人三脚で二人の足首を紐で縛りますが、その鉢巻を一瞬で結ぶ方法を山本くんが発見!
本番では、他のクラスがもたもた縛っている間に、我がクラスは3組ともダントツで一等賞を取ったのでした。
総理も金八先生も「熱い教師」でしたが、あくまでドラマの中です。
浅田先生はリアルです。
そして、54歳になって、まさか「浅田先生側」になるとは思ってもいませんでした。
私は基本的に一人で過ごす方が楽しいし、人付き合いは苦手です。
ただ、実習生に関しては「別腹」なんです。
30半ばのおっさん実習生でさえ、可愛くてたまりません。
18、19歳の可愛らしい実習生なんて、目の中に入れても痛くないです。
授業以外でも、出来る限り彼らの為に時間を共有してあげたいですね。
ウチの学校は午後8〜10時までは自習タイムなのですが、その時間帯も補習授業する事にしました。
30分×4コマです。
実習生はシャワーを浴びて私服でやってくるのですが、昼間とは全く違った表情です。
女の子なんて、髪を下ろしていると「あれ?誰?」です。
授業終わるのは、午後10時です。
私は、朝7時半から学校にいるので、生徒からは「先生無理しないでね」と声を掛けられる様になりました。
この学校ではダントツのオジイチャンですからね。
先日、補習授業が終わり、廊下に出ると実習生が待っていました。
彼は明後日、日本に行くのです。
これから、学食でお別れパーティーがあるので、参加してくださいとの事です。
彼にとっては、人生最大の門出です。
THUAN AN KYOTOは全寮制ですから、日曜日の午後以外、外出する事は出来ません。
勿論、学食にアルコールはありません。
ジュースとひまわりの種でパーティーです。
10時過ぎなのに、みなさん、こうやってパーティーをしてくれて優しいですね。
日本に行く実習生からは、「3年後、是非会いましょうね」と言って貰いました。
「是非!是非!会いましょう!その時はビールで乾杯です」
浅田先生は同僚や他のクラスの保護者からすれば、嫌われていたかもしれません。
本当にハチャメチャな人でした。
ただ、40年も経っても鮮明に当時の事を覚えていると言うのは、生徒からすると「最高の先生」だったのではないでしょうか?
私も浅田先生の背中を追っているのだと感じる時があります。
ガーさんが帰国する12月までは、昼も夜も全力で実習生と付き合いましょうね。
こんにちは。
なるほど、思い出深い熱血先生だったんですね。
私の故郷山形県に作家藤沢周平がおります。
普通は売れた作家だなあと感じます。
ところが、藤沢先生は鶴岡の湯田川温泉近くの中学校の先生をしていました。
ところが2年目に結核になってリタイヤとなりました。
藤沢先生は短い間の学校生活でしたが、生徒に非常に慕われたことが山形新聞に連載されております。熱血先生というよりも、人情味溢れる先生だったということです。
かきえもんさん
コメントありがとうございます。
藤沢周平さんが教師だったとは、初めて知りました。
教師はとても特殊な職業だと思います。
教えるのが、仕事なのですが、同じくらい教わる事も多いです。
もろひゃん。元気そうで、楽しそう。
東京は台風一過で強烈な残暑を喰らっています。
総入れ歯。あなたの口癖でこんなのがあったね。
「シンダー。シンダー。」
未だに謎です。
ヒカっち
あらっ!珍しい人からコメントを貰いました。
ありがとうございます。このBlogの更新があると言うことはとりあえず、ベトナムで行きているという事です。
「さいかのおじん」なんていう、超強烈なキャラクターもいましたね。
お互い元気なうちに、ベトナムでビールを飲みましょうね!
浅田先生!!
大好きでした❤️
ブーヤンの話とか、一平壮?の探検とか、最高でしたね。学年違うかもしれませんが、思い出共有いたしました。
mintさま
おっ!菅谷中学校出身ですね?
浅田先生懐かしいですね〜〜
今はあんな先生いないのでしょうね。
ふと思い出して栄正の名前をググってみた者です。2000年頃にお世話になりました。マタンキ棒、数を数えるときの「ボンさんが屁をこいた」などなど懐かしい思い出だらけです。
今ではもうおじいちゃんになっているかと思いますが、元気であってほしいです。
コメントありがとうございます。
私は中1、3でお世話になりましたが、かれこれ40年近く経ちます。
当時は大学を卒業したばかりで浅田先生もピチピチのスリムカラージーンズを穿いて教壇に立っていました。
色々な人がググるというのは良い先生だったのでしょうね。
元気であって欲しいです。
私も栄正先生の教え子の一人です。
昨晩,スマホの電話帳の一番上にいる浅田先生に誤発信してしまいました。
今朝,折返しにお電話頂いて,5分程度ですが会話させてもらいました。
そんな出来事でついWEB検索してこちらの投稿にたどり着きました。
ちなみに私も(別中学ですが),やはりバレー部でも好成績に導いて頂きました。
教員は早めにリタイアされて,塾を開設,未だ教育職のようですよ。お声は相変わらずお元気でした!
通りすがり2021さん
コメントありがとうございます。
人と人の出会いは、偶然ではありますが、良い人との出会いはとても大切ですね。