危うくガーさんに働いてもらう所でした。ピンチは2人で乗り切るね。
我が家だけでは無いと思いますが、家計のピンチが現実味を帯びてきました。
最後の給料は出る予定ですが、その後は収入が断たれてしまいます。
昨晩、ガーさんは遅くまで誰かと電話で話していました。
相手は日本に行く前に日本語を教えてもらっていた学校の先生だそうです。
その後、先生はベトナムでは超メジャーな乳製品会社で働いています。
先生に仕事が無いか?聞いてくれていました。
早速、翌日の午前11時に先生が働いている倉庫に行く約束をしました。
地図を見る限りアパートから40分程度掛かります。
田舎ではバイクに乗っていたものの、ハノイでは怖くて乗れないガーさんです。
もし、採用になったら私が朝晩送り迎えをすることになります。
スーパーカブの運転は楽しいし、表に出る事です気分転換にもなります。
いやいや。。。問題はそこでは無いのですよ。
年上の日本人と生活を共にするというのとは、普通に考えれば、そこには安定があるのです。
今回はその逆です。
家事や洗濯の面倒を見た上で、自分が働きに出なくてはいけません。
これは、流石にイカンでしょう。
でも、こんな世の中になってみると、ガイコクジンであるハンディキャップを、ヒシヒシと感じます。
そして、本日2人で先生の働く倉庫に行ってきました。
出かけるギリギリまで雨が降る降っていて路面は濡れています。
でも、レインウェアは着る必要ないでしょう。
倉庫付近までは順調に行けたのですが、最後の最後でもたどり着く事が出来ません。
最大手の乳製品の企業ですから、相応の建物を想像していたのですが、本当に、巨大な物置きの様な倉庫です。
ガーさんも恩師に会うのは久しぶりです。
簡単な手土産を渡し挨拶をした後、担当者が説明をしに来てくれました。
どうやら、会計補佐の様な仕事内容ですね。
ガーさんですが、昔から会計の仕事をしていたらしいのですが、何と!16年前です。
16年前のエクセルって想像できません。
先ず、3日間無給で仕事をしてみて、業務が出来れば正式採用です。
朝の7時半から、ノルマが終わるまでだそうです。
月給は4万5千円なので、悪くはありませんね。
と言うか、けっこう良い給料ですね。
帰り道なのですか、2人とも方向音痴なので、反対方向に走り出してしまいます。
私も久しぶりの遠出だったもので、キョロキョロと走っていたらいつのまにか、あら!未舗装の田舎道!です。
Googleマップを開いているのに迷うとはとんでもない方向音痴なのです。
結局、1時間以上も掛かりやっとアパートに到着です。
さて、こう言う状況になると2人とも元気印では無くなってきます。
ラストチャンスで、錆びついているかもしれませんが、伝家の宝刀を抜いてみましょうか。。。
ホーチミン時代に世話になっていたインターネット経由の日本語教師です。
約1年ぶりに連絡をしてみます。
「このご時世なので、生徒数が減って少ない従業を分け合っている様でしたら辞退します。」
と、書き添えて、講師の空きがあるか?尋ねてみました。
10分も経たずに返信がありました。
『諸川先生なら大歓迎です』との事です。
この、返信メッセージを2人で見て、『フォッフォッフォッ!』とふざけて笑いました。
ギリギリの所で、ガーさんの仕事を回避出来ました。
どれくらいの授業が確保できるのか?分かりませんが、これで今までと変わらずに生活する事が出来ます。
こう言ったピンチを乗り越えるごとに、絆は深まっていくのであった。。。
さてと。。。お祝いに先日、諦めたバランタインでも買いに行きましょうかね。。。
・・・と思っていたら、ガーさんがベトナムのワイン?を買ってきました。
明日にでも改めて乾杯をしましょうね。