内館牧子さんの「終わった人」を読む。私は何時「終わる」のだろうか?
ジーサンズはじめての強盗(Going in Style)
マイ・インターン(The Intern)を立て続けに見ました。
モーガン・フリーマン、ロバート・デ・ニーロなどの大御所が登場しますが、“現役を過ぎたお爺ちゃん”の役柄です。
華々しい現役時代を終えた、彼らがもう一度花を咲かせる映画です。
Going in Style
The Intern
最近、樹木希林さん、山本KIDさん、さくらももこなど、世間に愛された著名な方々が亡くなりましたね。
みのもんたさんや坂上忍さんの終活記事も読みました。
一昨日まで日本から息子がホーチミンに遊びに来ていたのですが、彼はまだ、22歳です。
おむつを替えたり風呂に入れていた頃から22年も経過したと思うと本当に、人生なんてあっという間の出来事だと再認識します。
なんとなく、自分の年齢53歳を意識したのでしょうか?
昨晩、ベッドに寝転がり、Kindleで読める本を探していて、内館牧子さんの「終わった人」が目に留まり、ポチりました。
大手銀行の出世コースから子会社に出向した主人公の定年後のお話です。
タイトルの「終わった人」ですが、物語の中でも度々登場します。
私は大学を2年で中退して以来、ずーっと、「普通の人」とは全く違う道を歩んできました。
大学時代の友達のFacebookを見る限り、バリバリに働いています。
定年を60歳とすると、残りは7年です。
息子が育った22年間の過ぎ去るスピードを思うと、7年後なんて、瞬きしている間に迎えてしまいそうです。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックまでは、色々ありつつも、辛うじて上向いている様な錯覚を持つことが出来るかもしれませんが、その後の日本はどうでしょうか?
息子も言っていましたが、医療や高齢者の問題は既に“Point of no return”です。
そんな日本で定年を迎える、2025年はどの様な世界でしょうか?
今年の狂った様な夏の暑さは当たり前、風速60mを超える様な台風も度々やってくるでしょう。
私は日本に戻るつもりはありません。
死ぬまでベトナムで暮らします。
私は何時「終わった人」になるのでしょうか?
もしかしたら、既に「終わった人」かもしれません。
小説の中では、定年を以って「終わった人」となっています。
私は定職を持っていないので、定年がありません。
今は午後5時から午後10時まで、「夜のお仕事」をしていますが、そんなに長く続けるつもりはありません。
人から頼りにされ、人の為に役立ち続ける間が「現役」だと思います。
自分の存在が消えても、誰も困らなくなった時が「終わる瞬間」だと思います。
もう少し、生活が安定したら、授業料を払う事の出来ない貧しいベトナム人にボランティアで日本語を教えようと思っています。
日本語を話す事によって、ベトナム人は仕事の選択肢を広く持つ事が出来ます。
教え子が日系企業に就職出来たら。。。こんなに幸せな事はありません。
日本語の先生であれば、頭がボケない限り続ける事が出来ます。
これは、人様の為に生きているので、「終わった人」になりません。
又、最近、メッセージをやり取りをしている、ベトナム人女性がいます。
36歳の彼女は宮崎県で農業の仕事をして、ベトナムに残した二人の娘(13歳、5歳)と家族に仕送りをしています。
彼女と親しくなる様な事があれば、息を引き取る瞬間まで「終わった人」にはなりません。
万が一ですが、一緒に暮らす様な事になれば、二人の子供の成人を見届け、二人の子供にも会う事が出来るかもしれません。
弱気な発言になってしまいますが、看取ってくれる人がこの世にいると言うのは大きな勇気になります。
長生きをしよう!と意気込んでいる訳ではありませんが、息子の滞在中に食べすぎてしまったので、断食をしています。
一昨日の夜中に息子のお土産「ペヤングソースやきそば超超超大盛GIGAMAX」なんていう、愛すべきバカな物を食べてしまったので、昨日はなんにも食べませんでした。
今日、明日、とりあえず3日間断食をします。
最近、肌の具合が悪かったり、不眠症が続いているので、改善するかもしれません。
36歳の女性との関係はこれからどうなるのでしょうかね?
まあ、色々とあって楽しい人生です。