絶対に譲れないモノ。これだけは、何が何でも譲れないのです。
食べるものには、何にもコダワリがありません。
一日一食で良いのですが、痩せてしまうので、とりあえず2度は食べる様にしています。
ただ、毎食、HU TIEUでも全然大丈夫です。実際にそんなペースで食事をしています。
時々違う物を食べにいくのは、HU TIEUの店の親父さんに笑われてしまうからです。
改めて、生活を考えてみても「これじゃなきゃダメ!」という物事は無いかもしれません。
ただ、私の場合、珈琲だけは絶対に譲れません。
もしかしたら、近い将来ガーさんと結婚をする事になるかもしれませんが、もし珈琲が自由に飲めなくなるのだったら結婚は諦めるかもしれません。
初めて珈琲を飲んだ時の事ははっきりと覚えています。
錦糸町に「あんちゃん」が住んでいました。
「あんちゃん」は母の弟なので正式には「おじさん」なのですが、私は昔から「あんちゃん」と読んでいました。
あんちゃんは、元カメラマンで、JAZZと珈琲をこよなく愛する人でした。
部屋の大きな棚には数えきれない位のレコードが並んでおり、真空管のアンプやJBL、TANNOYのスピーカーがたくさんありました。
珈琲なのか?パイプなのか?子どもだった私にはなんとも言えない「大人の男性」の香りが漂っていました。
中学生の時だったでしょうか?
Miles Davis、MJQ、Sonny RollinsのLPを貰いました。
当時、岩崎宏美さんのファンだった私は、不思議な音楽があるものだな〜とJAZZの名盤を聴いた事を覚えています。
ある日、あんちゃんが、私に「珈琲」を淹れてくれます。
電動ミルで豆を挽き、ペーパーフィルターを器具にセットして、口の細いやかんで、お湯を注ぎます。
手慣れた手付きで珈琲を入れる様子はまるで何かの儀式の様でした。
「苦っ」
大人になると、この苦い飲み物が美味しくなるのだろうか?
こんなに苦い飲み物が美味しくなると大人になれるのだろうか?
その時は、ミルクと砂糖を入れて貰いました。
JAZZや珈琲、カメラにしても、この時に記憶が強く残っているのでしょうね。
その後、写真事務所で働きましたし、ホーチミンで暮らす今でも、JAZZと珈琲は私の生活には欠かせません。
朝起きて、冷たいシャワーを浴びた後、電気ポットでお湯を沸かし、珈琲豆を挽きます。
子供の時、あんちゃんの部屋で見たように、豆を挽き、お湯を注ぐと言う行為を楽しむのです。