四十の手習いというより、オジサンはお手洗いに行きたいのです。
そもそも友達は少ないのですが、日本にいる彼らは、システムエンジニア、医者、建築家として真面目に生きています。
親友は離婚してしまいましたが、彼以外は「起承転結」でいうと「結」を迎えている頃でしょうか。
彼らの子供は既に成人して、親元を離れ、定年まで10年ちょっとと言う所です。
私と言えば、50歳になってベトナムに来たり、会社を辞めたり、ハノイで就職をしたり。。。と文字とおり「転々」としています。
こんな歳で、完全にリセットして全く新しい事を始めるの奴は余程のバカか、やくざ者だけです。
50年も生きていれば、守る物もたくさんあるし、身の回りの整理だけでも、大変な事です。
単純に人様と同じ生き方が出来ないだけなのですが、私は四十の手習い大歓迎です。
元家内から見捨てられた一番の原因でもあるのですが、一つの所に住み一つの事をやり続ける事が出来ないのです。
これは相当「人の道」から外れてしまっているかもしれません。
履歴書なんて、正直に書いたら3枚くらい必要です。
とてもとても1枚に収まりません。
それに、転職の回数や、仕事をしていた期間なんて思い出せる訳もなく、履歴書を書くときは、毎回、カレンダーを見ては格闘するのです。
経歴を見て、「これは書こう!」とか、「これは書いたら採用されないぞ!」などと作文をして無理やり1枚にまとめます。
さて、来年のテト明け2月からハノイに移動します。
住み慣れたホーチミン生活が一変します。
ダラダラと半年以上生活をしてきたので、順応できるかも心配なのですが、この変化は私にとってこの上ない快感です。
ハノイで、どんな生活が始まるのでしょうか?
ただ、ベトナムに来て感じるのですが、「日本人らしく」生き、振る舞う事が出来れば、仕事はいくらでもあると思います。
今の若者では通用しないかもしれませんが、昭和40年代生まれの人間が「道徳の時間」に習った様に、生きれば良いのです。
私も道徳や空手から色々な「当たり前の事」を教わりました。
自分以外は全ての人は「人様」です。
知らない人にキチンと挨拶をしたり、日本人としての立ち居振る舞いが大切です。
床にナプキンや食べ残しが散乱している様なローカルレストランでも、食べ終えたテーブルの上を拭き、食器は重ねておきます。
「おっ!さすが日本人!」と思われるのは、気遣いです。
勿論、全員とは言いませんが、日本人と比較するとベトナム人は「気遣い」が足りません。
※これを悪いと言っている訳ではなく、これも文化の1つです。
私のアパートの屋上には共同の洗濯機があり、物干し場があります。
ちなみに、この洗濯物は1週間以上ぶら下がっています。
この洗濯物は、洗濯槽に入りっぱなしだった物を誰かが、移したのでしょう。
さて、洗濯しよう!と朝、屋上に上がると、時々洗濯機が回っている事があります。
残り時間を見ると、10分です。
多少余裕を持って、15分後に再度行ってみると、終わっていますが、そのまま放置されています。
どうやら、女性物の様なので、触っては失礼と思い、夕方に再度、屋上に上がりますが、やはり入りっぱなしです。
他の人も使うから、終わったらさっさと取り出すと言う意識が無いのですね。
私も洗濯をしたいので、失礼ながら女性の洗濯物を大きなビニール袋に入れ、洗濯をします。
「次の人」がいるかもしれないので、終了の数分前には、洗濯機の前で待機して、すぐに干します。
ビニール袋に移した洗濯物はまだ、放置されています。
そのままでも良いのですが、他人に洗濯物を触られたと分かるのは嫌だろうな?と思い、もう一度、洗濯機に戻します。
出来るだけ、「洗濯終わったままですよ〜」と言う状態にしておきます。
実際には、真っ赤なレースの女性物の下着が堂々と干してあるので、全然気にしていないと思います。
雨が降ると、洗濯物を屋根の下に移動しますが、その時は人の洗濯物も一緒に移してあげます。
誰も見ていない所でも、気遣う事が出来るのが日本人ですね。
これさえ出来れば、ベトナムで食っていく事が出来ます。