人によって、幸せの尺度は本当に違います。(毎日を幸せイッパイに生きる)
日本に住んでいた頃ですが、地下鉄に乗っていると、白杖を持った若い男性が乗ってきました。
すぐに降りるのでしょうか、ガラガラなのに席に座る様子もありません。
ドア横の乗降客の邪魔にならない所にピッタリと収まり、立っています。
ここまでは別に珍しい光景では無いのですが、私がショックを受けたのは、その男性が満面の笑みだった事です。
人によってはどうしてそんなに驚くのか?と疑問に思うかもしれませんが、だって、恐らくは全く目が見えないんですよ。
“ひすいこうたろう”さん流にいえば、愛する人の笑顔も、空にかかる虹や、優雅に散る桜の花もみれないんです。
目を開いてさえいれば、当たり前の様に眼球から入った情報を脳で映像として捉え、あー美しい女性だなー。。と幸せになったり、涎が出るようなご馳走もこの男性は見ることが出来ません。目を閉じて、ご飯を食べてもちっとも美味しくありませんね。
又、こんな事もありました。
当時、お金に困っていて、日勤と夜勤を繰り返していました。
※今、考えると不思議なのですが、寝ないで働いていた事があったんですね。他人事の様ですが、今、よく、生きていますね。
昼間の仕事は屋外で身体を使う作業だったのですが、昼休み、コンビニで買ってきた弁当を現場近くに駐車したバンの近くに座って食べます。
台風でも近づいていたのか突然、空が真っ暗になり、バケツをひっくり返した様な大雨です。
雨宿りする所もなく、バンの後部のハッチを屋根にして、ずぶ濡れになりながら立ったまま弁当を食べます。
徹夜明けそのまま現場にきたので、身体は疲れ果て熱っぽく、頭の芯はジーンと痺れています。
“オレ、この歳で何やってんだろ・・・”と、スーツ姿で定食屋に入って行く数人の若者を見て少し悲しくなったりします。
その時、目の前に1台の小型のバスが止まりました。
車体横に、●●養護施設・・・とあります。
スライドドアが開き、リフトで車椅子に乗った障害児が降りて来ると、お迎えのお母さんでしょうか?傘を持って子供に近寄ります。
大雨の中、子供とお母さんは仲良く笑いながら、雨音に負けぬように大声で何かしら話しています。
傍から見ても、二人が置かれた境遇、将来は楽では無いはずです。でも、落ち込んだ気持ちで雨の中、弁当を食べている私の前で笑っている二人。
今、ホーチミンに住んでいますが、この国にいると、私が子供の頃に感じた、日々の小さな幸せに触れる事が出来ます。
道端で偽物の靴や服を売っている若者、50円のバインミーを売っているおばさん。
恐らくは将来の蓄えなんてありません。皆、その日のご飯が買える分だけ、稼げれば幸せなんだと思います。
この国に住んでいると、圧倒的な人のパワーが自分を引っ張ってくれます。
この国では俯いては生きて行けません。
今の生き方に疑問を持ったら、何も考えずに海外に出て自分を振り返るのも良いかもしれません。