何を以って「幸せ」を定義するか?どうすれば、若大将の様に「僕は幸せだなー」と言えるか?
基本的に頭の中の90%位はキレイなベトナム人女性(若年限定)の事。
残りの10%で今日のお昼ご飯はフォーにしようか?フーティユーにしようか、悩んでいる私なので、あまり真剣に読まないでくださいね。
時々、私の事を「真面目な人間」などと、とても大きな勘違いをしている人がいます。
懐かしの“うそこメーカー”を使って、如何に、不真面目な人間かを証明してみせましょう。
諸川 環の脳内
大半の悩と食に嘘が挟まれています。
どちらかと言うと、これは日本にいた時の状態ですね。
今は、▼こんな感じです。
書き初めメーカー
ずばり、“不正!”
うそこメーカーお見事!大正解です。
状態メーカー
ギリギリを攻めることに快感を覚えている様子。
これまた、うそこメーカーお見事!
締切ギリギリにならないと、本気が出ませんね。
もしかしたら、ギリギリと言うのは“蟻の戸渡り”の事かな?←失礼しました。。。分からない方は読み流してください。
スペシャルイベントなんてありません。
週末でなければ、勿論、クリスマスや正月でも無い、ごく当たり前の平日です。
朝起きて、職場で仕事をしてベッドで眠りに付くまでに、何回、ホッコリした気分になったり、加山雄三さんの様に「僕(私)は幸せだな〜」感じたりする事が出来るか?
子供が生まれたり、宝くじが当たったり、コートのポケットから1万円が出てきたり。。。サプライズやスペシャルイベントはとても嬉しいですが、そんなにしょっちゅうありません。
年に一度、デッカイ喜びを感じるより、毎日、小さくても良いので、幸せがたくさんあった方が楽しいと思うのです。
小さな幸せを感じるには、頭と心の中のフィルターを何時もキレイにしておく必要があります。
何時読んだか?忘れてしまったのですが、人間は、悩んでも解決しない事やネガティブな事を一日の中で物凄い回数繰り返し、考えているそうです。
具体的な数字がなくて、ごめんなさいね。でも、大体“こんな”内容でした。
この様な、無駄な事に気を取られていると、小さな幸せな事を見逃してしまいます。幸せな思いをしているのに気が付かないのですね。
蕎麦屋にて
さて、都内で雑貨販売の営業をしている、田中さんは、昼ごはんを食べに行きつけの蕎麦屋に来ました。
何時もの天ざるを注文した後に、憂鬱な気持ちになります。
午後一番に、お得意先に、お詫びの電話をしなくてはいけないのです。
“はあーっ。。。あそこの会社の吉田常務は厳しいからな〜”
考えただけで、喪黒福造に指さされた様に、“ドーン!”と落ち込んでしまいます。
こちらは、厨房にいる蕎麦屋の店主です。
“今日は、最高の海老が手に入ったぞ〜!”
客席を覗くと、田中さんの姿が見えました。
“よ〜し!常連の田中さんも、この海老を食べたらビックリするぞ〜!”と何時もより丁寧に海老を揚げます。
10分後、田中さんの前に、店主自慢の天ざるが運ばれて来ました。
お詫びの電話が気になって仕方がない田中さんは、なんと言って謝ろうか?ブツブツ言いながら、天ざるを食べました。
店主が気合を入れて揚げたスペシャルな海老に気がつくはずありません。
“うわ〜っ!今日の海老最高!”と言う幸せを見逃してしまいました。
実際に日本に住んでいた時に私が正にこの状態でした。
先程の“脳内メーカー”でもありましたが、何しろ、朝起きて寝るまで“悩” “悩” “悩” “悩” “悩”なのです。
当時は、家族やお金、仕事、将来など、横になると耳から悩みが出てくるのでは?と言う位、悩んでばかりいました。
あんまり、悩んでばかりいると、生きている事が苦痛になってしまうので、朝7時から夜の12時まで働いていたのです。
それも、一人黙々とする仕事は同じ結果になります。
一日中、接客の仕事をしていました。
とりあえず、目の前にいる人に対応をしていると、余計な事を考える余裕などありません。
家に帰れば、そのままバタンキューです。
毎日がこれの繰り返しです。
この状態だと、天ざるを食べていた田中さんどころの騒ぎではありません。
五感が麻痺していると言っても良いかもしれません。
完全に、心と頭のフィルターが目詰まりしてしまっています。
2018年の5月にホーチミンでIT系の会社を辞め、フィルターのゴミが一気に無くなります。
朝、目覚めた瞬間から、目に入る物、触れるもの、口に入るものに、気持ちが行き届きます。
オメデタイ奴だ。とバカにされてしまうかもしれませんが、アパートの屋上で、カラッ!と乾く洗濯物を取り込む時の快感と言ったら。。。
お気に入りの珈琲豆を挽いている時のステキな香りと言ったら。。。
坂本龍一さんの戦場のメリークリスマスの旋律の美しい事と言ったら。。。
この程度の事で、私の幸せメーターは70%位まで、達しているのです。
なので、田所商店の信州味噌ラーメンを食べた時などは、気絶をしてしまいそうです。
この先、間違って彼女など出来た時にはどうなってしまうのでしょう?
日々の食生活を時々ブログに書いています。
毎日、COM TAM、フォー、フーティユーの繰り返しです。
本当はお金持ちで、1区の日本食ばかり食べているのでは?と疑っている人もいるかもしれませんが、本当に、3軒のローカルレストランしか行っていないのです。
▼COM TAMのお店
▼何時もの料理
このフィルターがキレイな状態ですが、自分の事だけで無く、他人の幸せも見えてくる様になります。
このCOM TAMのお店ですが、恐らく一家4人で経営しています。
時々、中途半端な時間に行くと、空いている時間を利用して、家族でご飯を食べている時があります。
その幸せそうな様子と言ったら。。。
又、時々、お父さんが家族の為にテイクアウトの珈琲を買ってくる事があります。
お父さんが、家族に珈琲を嬉しそうに手渡す様子と言ったら。。。
満員電車に揺られ、渋滞に巻き込まれ、酷暑に台風。。。今の日本でフィルターをキレイにしておくことなんて、難しいかもしれません。
ただ、私の大好きな映画“ショーシャンクの空に”の中で、主人公のアンドリュー・デュフレーンが、言っています。
彼は、2週間も懲罰房に入れられ、仲間から、“地獄だったろう”と聞かれるのですが、
“快適だった。頭と心の中で、モーツアルトを聞いていた、音楽は決して人から奪えない”と答えています。
例えは少し違いますが、住む国や環境が違っていても、人の心の中は、気持ち一つでどの様な状態にでも変えることが出来ると言う事ですね。
さて、明日は久しぶりにラーメンでも食べて、気絶しようかな。。。