「みたい」や「とか」「なんか」が気になって仕方がない。
最近、朝から日本のFMを聞いています。
学校でも、Skypeの授業でも、ゲップが出るほど日本語は話しているのですが、日本人が話す日本語を聞く機会がありません。
普段、ベトナム人との会話では、極力簡単な単語を使うようにしているので、ラジオから聞こえてくる面白い表現や言葉遣いに『おー。。そんな日本語があったなー』と1人静かに感心しています。
ただ、日本語の乱れが気になって仕方ありません。
番組にゲストが登場して話す事がありますが、まあ。。。耳に残ってしまう日本語なのです。
今もInterFMを聞いているのですが、ゲストで喋っているアナウンサーの日本語が酷いのなんのって・・・
特に気になるのが『みたい』や『とか』『なんか』の使い過ぎです。
疑問文でも無いのに、語尾を上げるのも、バカ丸出しです。
NHKのアナウンサーが話すこと日本語は芸術的ですね。
原稿のない場合でも、日本語の乱れが一切ありません。
『ら抜き言葉』が市民権を得たように、言語も進化して良いと思うのですが、言葉の美しさが損なわれてしまいます。
気にしなければ良いのですが、私は変な所が神経質なので、「あっ!変なアクセント!」「・・・とか・・・とか・・・とか」を聞いているとイライラしてくるのです。
結局、ラジオを消す羽目になてしまいます。
日本語を母国語としない、ピーター・バラカンさんなど外国人の方がしっかりした日本語を話します。
日本ではテレビにも出演しているのでしょうか。
「ひろゆきさん」の日本語も酷いですね。
恐らく頭の良い方だとは思うのですが、もしYouTubeでの話しをテキストに書き起こしてみたら、知性のかけらも感じないでしょう。
話しの内容が通じるんだから、『いーんじゃ無い?』と一蹴されてしまうのでしょうね。
また、YouTubeの動画で時々、明後日の方向に目を向ける事が多いのですが、こう言ったお方は「紙一重」なのでしょう。
でも、武道の道場や華道、茶道の稽古場に行ったら、
・きちんとした日本語を使いなさい!
・話している最中、キョロキョロしない!
と叱られますよ。
以前、ホリエモンが「食事をする時の食べる順番なんてどうでも良い・・・」と言った発言をしていました。
私も子供の時、まず、汁物を飲み、ご飯を一口、それからおかずに手を付けると家庭科の時間で教わりましたが、実際には胃袋に入ってしまえば一緒です。
でも、どうでしょう。美味しいからと言って、おかずだけ全部食べてしまったら、見た目が綺麗ではありませんね。
作ってくれた人に対しても失礼だと思うのです。
私は毎日、Skypeでベトナム人に日本語を教えています。
毎回の授業は録画をしているので、間違った日本語を使うと「恥ずかしい証拠」が残ってしまいます。
なので、毎回、口にする前に一瞬頭の中で校正してから話します。
「とか」を連発する話し方を「とか弁」と言うらしいですね。
面白い事に私が教えているベトナム人にも「とか弁」で話す人が多いのです。
スタンダードの教科書「みんなの日本語」には、勿論「とか弁」は登場しません。
日本で生活をするうちに日本人の「とか弁」が伝染ってしまったのでしょう。
日本人の会話を良く聞き、真似しよう!と勉強熱心な生徒に多いです。
聞き流しても良いのですが、美しくないので、私は「や」や「とか」に訂正します。
オリンピックで空手の形競技をご覧になりましたか?
空手を全然知らない人でも、選手の試合後の挨拶、立ち居振る舞いや質問への受け答えを美しいと感じたはずです。
日本が日本である為、日本人が日本人である為に「美しさ」は欠かす事が出来ません。
日本で美徳なんて言葉は忘れ去られてしまった様です。
こんな事を言っていると「時代錯誤」と一蹴されてしまうのが令和なのでしょうね。
ただ、色々な意味で厳しい時代を迎える日本にとって、これらの事は絶対に忘れてはいけないと思うのです。
「ココ」さえ抑えておけば、世界の中でいつまでも、NIPPONは誇らしい存在であり続ける事が出来ます。