楽な生き方
学校は閉鎖になりましたが、毎日、欠かさず数本の授業をしています。
Skypeを使っているので、インターネット接続が必須です。
少し前、海底ケーブル損傷の事故があり、インターネットの速度が非常に不安定で苦労をしました。
早い時は40Mbpsあるので、「おっ!これは良いぞ」と思っていると、突然1Mbpsまで落ちてしまうことがあります。
授業中に音声が途切れてしまうと、この上なくストレスを感じるのです。
ガーさんに相談した所、インターネットプロバイダ?に電話を掛けています。
コロナで外出もままならない状況なのですが、サービスの人が来てくれるそうです。
私は「来ても無駄なんだけどな〜」と思っていました。
これまで使っていた接続先を削除して、新しい接続先を設定してもらいます。
早い!
バカ早い!
爆速!
日本のインターネット環境からすれば、当たり前の速度だと思うのですが、ベトナムに住み、5年間の中で安定して100Mb使えるのは初めてです。
コロナ禍の中、来てくれたお兄さんと連絡をとってくれたガーさんに感謝なのです。
日本ではお盆ですね。
この季節になると、カレンダーにある文字が表示されます。
「Aさんの命日」
Aさんと言うのは私が日本で世話になった人です。
Aさんに会ったのは、江戸川橋にあった製版会社でした。
入社した途端に給料が遅れる様な会社でした。
私にとって初サラリーマンです。
新卒と言う歳でありません。
私は夏の暑い盛りに革靴を履きスーツ姿で外を歩いている「サラリーマン」と言う職業を馬鹿にしていました。
それまで好き勝手に生きていたのですが、世の中そんなに甘くありませんね。
とうとう諦めて、安物のスーツと革靴を買い、入社したのがその会社でした。
Aさんを一言で言うと、「疲れたおっさん」でした。
頭は薄くなって頭皮が透けていて、腹回りはタプタプ、脂ぎっているタイプです。
職場で私の席はAさんの隣でした。
その後、Aさんは退職して八丁堀の会社で働き始めます。
立ち上がったばかりの会社だったので、顧客ゼロです。
Aさんは自転車で片っ端から飛び込み営業をします。
見た目もそうなのですが、正に猪突猛進です。
夏になると、汗っかきの彼のスーツは汗が乾き、真っ白になってしまうほどです。
その後、代が変わり、Aさんは社長になります。
やっと月収が100万円になったと嬉しそうにしていました。
私も引っ張ってもらい彼の会社に入社します。
私は部署は「新規開発部!」です。・・・と言っても私一人だけです。
「その会社」はこの先、確実に先細りしている業種だったので、今のうちに次の1手を打とう!と立ち上げた部署でした。
・・と言ったってそんな簡単に行くわけがありません。
他のスタッフが汗水たらし仕事をしている中、私だけは売上ゼロ・・・
スタッフだけでなく、経理のおばさんからも白い目で見られている中、Aさんはスタッフに「今は実績が上がっていないけど、もう少し様子を見てあげて」と私をかばってくれていました。
食事や珈琲もよくご馳走してもらいました。
私がデザイン会社に転職した後、彼は独立します。
彼はオフィスとして八丁堀にマンションを購入します。
私も何回か行きましたが、まあ、、、仕事場でこんな物は必要ないでしょうと言う物まで揃っています。
熱い心を持っている人間でしたが、金遣いは雑で、正直、頭も良い方ではありませんでした。
さて!これから!と言う時に彼は突然他界してしまいます。
LINEでメッセージが帰ってこないな〜と思っていたら、この世から居なくなっていました。
もう、あれから何年経つのでしょうか。
亡くなった時、彼は何歳だったのでしょうか。
結局、何も恩返し出来ずに終わってしまいました。
先程、久しぶりにQUEENを聞いていたのですが、フレディー・マーキュリーが亡くなったのは彼が45歳の時です。
ジョン・レノンなんて40歳です。
私はと言えば、既に彼らを一回り追い越してしまいました。
今、ベトナムはコロナの第4波で社会封鎖の状態です。
私の学校も閉鎖になり半月経過しました。
ベトナム人の先生方は収入が途絶え苦労をしています。
蓄えがあれば、幾らでも用立ててあげるのですが、残念ながら私もカツカツの状態です。
今は毎日、数本、Skypeで授業をしていますが、それ以外は映画を見たり、本を読んだり音楽を聞いたり、ベッドでゴロゴロと過ごしています。
平たく言うと「楽に生きています。」
そもそも、社会封鎖されている現状、こんなモンで良いのでは?とも思うのですが、独立して、「さて、これから!」と言う所で呆気なく逝ってしまったAさんの事を想うと、例え、世界がどんな状態であれ、こんな毎日を送っていては駄目だとも思ってしまいます。
今日、LINEをチラチラ見ていたら、懐かしい名前が出てきたので、数年ぶりにメッセージを送ってみました。
彼は苦労しつつも元気そうでしたが、我々の共通の友人が昨年、脳梗塞で亡くなってしまったそうです。
すっかり長生きになった日本人で56歳と言えば、まだまだ若い部類に入ります。と言っても何が起きても不思議ではありません。
何かをしなくてはいけません。